私のルーツへ
久留米の鶴崎写真館前
鶴崎鶴太の三男信之入隊時撮影(昭和18年)
私の祖母/鶴崎サカ (厳島神社にて)
左から
山下大町町助役・・祖父鶴崎鶴太・父鶴崎正好・鶴崎悦次大町町長
久留米・鶴崎写真館前
久留米師団
(鶴崎写真館は軍のお抱え写真館でよく写真撮影に伺った)
私の祖父/鶴崎鶴太。
(久留米で写真屋開業。第二次世界大戦、
空襲にて故郷大町町に疎開。廃業)
鶴崎又蔵
曾祖父(私の祖父の父)
鶴崎藤太
(私の曾祖父の長兄)
祖父/鶴崎鶴太が撮った
久留米・十二師団
香月師団長
(近衛師団長、北支那方面軍・第1軍司令官歴任)
杵島炭鉱が活況な時(昭和20年頃?)の大町町・本通りの写真です。
大町町のHPの写真館に掲載されており、左側に本家筋の鶴崎呉服店
の看板が見え、引用させて頂きました。
左側に本家筋の鶴崎呉服店の看板が見えます。
このころは、ふとんも良く売れ、「おたふくわた」の看板も見えます。
鶴崎呉服店(大町町)
2009年(平成21)4月に撮影した同場所の写真です。お店も人通りも少なくなりました。
昭和20年以前の久留米市 [軍都・久留米]
明治30年、陸軍歩兵第48連隊が始めて福岡より国分町に移駐し第24旅団司令部が設置されたのが軍都久留米の第一歩である。日露戦争を経て明治40年に第18師団司令部が置かれ各部隊の集結、軍関連施設が増大した。久留米は北九州における国防の要となった。 (参照:角川日本地名大辞典)
現在の鶴崎写真館の位置
西鉄久留米駅のそばで水天宮に繋がる明治通り沿い(直角の通りは千歳通り)。
遠くの先に、地元百貨店「井筒屋」が見えます。 2009-5-1
鶴崎悦次氏: 町長 昭和11年8月-14年12月
議長 同上